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囲碁界最強!!
2024年11月27日
みなさま、こんにちは!
松樹 南風原支店の玉那覇です(^^♪
今回、囲碁でもっとも強かった棋士のご紹介となります。
現代で一番強い棋士は聞かれると、韓国のシン ジンソと答える方が多い一方、
日本では前回ご紹介した一力 遼プロが有力です。
現代でとお話し致しましたが、過去~現在までの棋士で見ていくと、
面白いことに江戸時代の棋士が未だに最強と言う方も多数います。
それは、『本因坊 秀策』という棋士です。
また、漫画のヒカルの碁を知っている人がいればわかる方もいるかと思いますが、主人公のヒカルのそばにいた藤原佐偽(ふじわらの さい)がヒカルの前に取り憑いていたのが本因坊 秀策であります。
(碁を知らない人でも面白く読めるので一度読んでみてください♪)
秀策がいまだに最強と言われてるのは、江戸城での御城碁(現代のタイトル戦に近いもの)で無敗の19戦19連勝との記録です!
昔の話しなので、信じられない話しと思えますが、実際当時の棋譜(囲碁の記録)も残っており、私も並べたことがありますが内容が難しすぎて解説がないと解りませんでした…
さらに、語り継がれる囲碁の中で『耳赤の一局』というのがあります。
簡単にご説明しますと、弘化3年(1846年)子どもだった秀策が当時最強と言われてた井上幻庵との一局で、劣勢だった秀策がとある一手によって優勢になり勝利したというものです。
そのとある一手で井上幻庵の耳が赤くなり、観戦していた人から「碁のことはよく判らないが、先ほどの一手が打たれた時に幻庵先生の耳が赤くなった。これは動揺し自信を失った証拠であり、これでは勝ち目はないだろう」と言ったという。
こういう逸話が残ってるだけでも伝説的でいいですね~♪
本因坊 秀策は囲碁の強さだけでなく、優しい人格者だったともいわれており、1862年にコレラが大流行した際にもコレラ患者の看病を行い、本人自身がコレラに感染してしまい、34歳という若さで亡くなります。
(その看病のおかげもあり、秀策の周りでは亡くなった人はいないそうです。)
それから、秀策の故郷である広島の因島にお墓があり、現在では本因坊秀策記念館が造られています。
私も、以前本因坊秀策記念館に訪れたことがありますが、
行く道中に橋が架かっておりそこから見る海がとても綺麗だったのを覚えています♪
もし、皆様も広島に行く機会があれば旅先候補の一つとしていれて頂ければと思います!(^^)!
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